一関市議会 2016-06-17 第57回定例会 平成28年 6月(第3号 6月17日)
これを受け、全国の活断層の地震活動が起こり得る可能性があることが明らかになり、全国的にダム等の耐震性が問題視され、ほとんどの自治体が耐震調査を行っていないということがわかりました。 ダム、そして大きなため池の下流には多くの住民が住んでおります。 そのような環境の中、東北地方における活断層の状況、東日本大震災以降の地殻変動を考えたとき、耐震調査、そして耐震工事の対策が急務と考えます。
これを受け、全国の活断層の地震活動が起こり得る可能性があることが明らかになり、全国的にダム等の耐震性が問題視され、ほとんどの自治体が耐震調査を行っていないということがわかりました。 ダム、そして大きなため池の下流には多くの住民が住んでおります。 そのような環境の中、東北地方における活断層の状況、東日本大震災以降の地殻変動を考えたとき、耐震調査、そして耐震工事の対策が急務と考えます。
被害想定につきましては、平成12年度に国の地震調査研究推進本部が実施した宮城県沖地震の長期評価及び平成14年度に同本部が実施した三陸沖の地震活動の長期評価をもとに県で想定したものを反映してきたところであります。
また、この大震災の直後には、東京大学の地震研究チームは、その後の地震活動の発生頻度に4年以内70%の確率で首都圏直下型地震が発生すると切迫感の高い予測を発表したのであります。きのう、きょうの情報によりますと、さらにこれが震度6の予想だったものが7に高めたといいますから、まさにもういつ起きるかもしれないという予測なのであります。
東日本大震災から丸1年、日本列島全域で地震活動は活発になり、南関東では今後4年以内にマグニチュード7クラスの地震が発生する確率は70%という試算も発表されました。昨年は有感地震だけで1年間に5,000回発生しており、無感地震まで含めますと、東京においては、おおよそ5分に1回の割合で揺れているということになるようでございます。
東日本大震災より間もなく1年が経過し、大震災を契機に日本列島全体が地震活動期に入ってる中で、国民の防災に対する意識は急速に高まってきております。 こうしたときであるからこそ、自助、共助による防災意識の啓発にあわせ、安心安全の社会の構築に向けた防災減災対策を緊急かつ集中的に講じるべきであると考えます。
いずれも今回の大震災の余震域の外で発生しており、国の地震調査委員会も、これまで空白地帯とされていた箇所も含めて秋田県から岐阜県まで16カ所で地震活動が活発化していると警告を発しております。 明治29年の大規模な地震津波災害の直後に発生した陸羽地震の先例や、今回の余震域の外での内陸型直下地震の頻発傾向を踏まえた上で、次の3点について質問します。
各地で頻発する地震ですが、阪神淡路大震災が起きた16年前ごろから、日本列島は地震活動期に入ったと地震学者が指摘してまいりましたけれども、その後も住民の生存基盤を破壊するような地震被害が続いており、その最大級が今回の地震であります。
前日の柏崎集会での、新潟大の地質学専門の教授によれば、日本の地震活動状況は活動期の真っただ中であり、今後、20ないし30年間はこの周期に当たると判断される旨発言をしておりました。 こういう視点から、市民の生命、財産を守る計画に、見直しは必至ではないか、その要点の説明を求めたいと思います。 次は、(2)と(3)を一緒に、消防施設、小学校、中学校施設の耐震化等々であります。
次に、(3)、国の地震調査研究推進本部が三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価の結果を公表しましたが、それによると三陸沖南部海溝寄りのプレート間地域、宮城県沖地震と連動した場合、マグニチュード8前後の大地震となるおそれが今後30年以内に発生する確率は70から80%で、本県沿岸部の地域においては震度6弱の強い地震も予想されるなど、近い将来大地震による津波の発生が懸念されていますが、その長期評価の
こうした中で、国の地震調査研究推進本部では、三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価を公表しておりますが、それによりますと、宮城県沖においては今後30年以内に地震の発生する確率は99%で、本県沿岸南部の一部の地域でも震度6弱の強い地震も予測されるなど、近い将来大地震による津波の発生が懸念されております。
次いで7月26日と相次ぐ地震で、地震活動期に入ったと言われる日本列島での地震に対する備えを厚くすることは急務と考えます。
地震の専門家は、地震活動はどのぐらいあったらどうだとか、あるいは水位計を調べる学者は水位計がどういうふうに変わったか、きちっといろんな角度から分析をした専門誌が出ているわけでありますけれども、そこで専門誌ですから私が読んでもなかなか理解できないのですが、よほど前からその兆候があって、そしてしばらくは続くだろうというふうなことが書いてあったのです。